あのね帳

文章の練習

ヴァルナを持たないきみと、ヴァギナを持たないぼく

 みなさん、あのね

 

 かつて、「せんせいあのね帳」というアイテムが存在した。学校や地域によっては、省略して「あのね帳」とも呼ばれていたようだ。

 「せんせいあのね帳」とは、小学校低学年の児童向けの日記帳である。文字通り「せんせい、あのね」という書き出しが各ページ冒頭に印刷されており、それに続けて、せんせいとおしゃべりするように、その日にあったことを口語体で自由に書けばよい。

 おそらく、初めて作文というものに触れる子供たちの為に作られた商品なのだと思う。Wikipediaも公式ホームページも存在しないようなので、製作者の正確な意図は分からない。もしかすると、裏では我々の想像もつかないような黒い思惑が存在した可能性は0ではないが、なんでもかんでも陰謀論を持ち込んでしまうと、格子のついた病院で、お医者のせんせいと永遠におしゃべりを楽しむハメになるので、この辺りで口を噤みたい。

 さて、ぼくの通っていた小学校では、この「せんせいあのね帳」の毎日の提出が義務付けられており、子供たちは、担任教諭という権力に日々の行動をつぶさに監視される、ディストピアの如き生活を送っていた。今でこそ「日記帳ぐらい誰に読ませるでもなく好きに書かせろ」と言うことができるが、まだ素直で可愛げのあった幼少期のぼくは、この「せんせいあのね帳」が大好きで、頑張って日記を書いては、せんせいから返ってくるコメントを心待ちにしていた。ぼくが文章を書く楽しさに目覚めたきっかけだったと思う。教育委員会、おまえの下らないプログラムがこれを狙っていたのなら、予想以上の効果をあげたぞッ。

 思えば、私がここまで熱心にページを埋めたノートは、「せんせいあのね帳」を除けば、A4の大学ノートを黒く塗りつぶして自作したデスノートくらいしか思い当たらない。クラスメイトたちが、やれ交換日記だ、やれプロフィール帳だとキラキラの青春をキラキラのラメ入りペンで書き綴っている裏で、カースト底辺のオタク野郎だった私は、クラスの不良たちへのストレスを手製のデスノートにしたためていた。こんな陰険なやつは嫌われて当然である。卵が先か鶏が先か、いじめが先かデスノートが先かである。(正しくは、デスノートの先はヒカルの碁である。)ちなみにインドでは私のようなカースト底辺のオタクを「ヴァルナをもたない人びと」と呼ぶが、野郎なので生物学的には「ヴァギナをもたない人びと」でもある。

 脱線した。死神あのね帳の話はどうでもいいのである。「せんせいあのね帳」の話をしたかったのだ。

 実はこの度、私も無事に就職が決まり、来年度からは、編集者であったりとか、ライターであったりとか、ともすると物書きであったりとか、そういう肩書きの人間になるようなのだ。つまり、商品という形で文章を扱う立場になるということ。であれば、その仕事には仮想される読者が存在し、ターゲットに向けた文章を創造しなければならない。しかし、悔しいことに、私の文章力はというと、ターゲットに合わせて文体を書き分ける器用な芸当など夢のまた夢、ポンコツも良いところなのだ。

 そのような経緯から、読ませるための文章のトレーニングがしたいと思い立った折、あのね帳の存在を思い出した。「せんせいあのね帳」ではなく、毎回異なる様々な読者を想定した、「◯◯あのね帳」として、できるかぎり毎日、下らない文章をひり出していきたい。

 

  • ユーモアのあるワードセンスを磨く
  • 筆が遅いのを改善する
  • 早漏を改善する

 

当面の目的はこの辺りで。頑張ります。