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あのね帳

文章の練習

【FF15レビュー】友だちとザリガニ釣りにいく感覚で世界を救ったばかりに世論に叩かれた男・ノクティス【湘南乃風を聴け】

 はじめに断っておく。ぼくは『FF15』が大好きだ。『FF15』と新垣結衣が崖から落ちそうになっていたら、一瞬悩んで新垣結衣を助ける。それくらい好きだ。いや、さすがにそこはガッキーを取る。国の宝だぞ(それをいったら、『FF』は世界の宝なのだけども)。でも、一瞬は悩むんですよ。脚を踏み出すのがワンタイム遅れる。もしかしたら、そのコンマ1秒が原因でガッキーを助けそこなってしまうかもしれない。それでも迷ってしまう。なぜなら、『FF15』が大好きだから。

 

 で、なんで『FF15』が好きなのかといえば、「大学生の夏休みに友だちとレンタカー借りて旅行すんの、楽しくないわけがないですか?」ということだウェイ。ウェーーーーーイ。 ……すみません。パリピのふりしてすみません。根暗なオタクのくせに車で海を目指してすみません。ビレバンで“90年代生まれの思い出ヒットソング”みたいなカバーアルバム買ってすみません。湘南乃風にめちゃめちゃ盛り上がってすみません。“レンタカーで海を目指す”という特異な状況は、根暗なオタクに「美味しいパスタ作ったお前 一目ぼれ」と歌わせるのである。それくらい楽しい。『FF15』の旅は、終盤までそのテンションで続いていく。楽しくないわけがないでしょうが。

 

 『FF15』をプレイしていて、楽しさのピークは何回かあったのだが、もっとも強烈だったのは、海沿いの大きな町“レスタレム”に着いたときだ。厳密にいえば町に着く直前の“トンネルを抜けた瞬間”である。山腹を貫く長いトンネルを抜け、空と海の青色がぱっと眼前に広がるその刹那、けたたましい叫び声が寝ているノクトを叩き起こす。

「ねえノクト!! 海だよーーーーーーーーー!!! みんなで写真撮ろうよーーーーーーー!!!!!!」

 ここが最高。プレイしたことが無い方に説明すると、これはプロンプトというカメラ小僧の台詞です。一時期SNSにめちゃめちゃアップされていた写真、あれは全部コイツが撮ってる。もうね、プロンプトを「愛しい」と思いましたもん。「いとおしい」ではなく「いとしい」。恋愛感情のLOVE。そうだよね。こんなきれいな景色を見たら、みんなで写真撮りたくなっちゃうよね。

 プロンプトはアホで空気を読めないが、こういうアホがパーティーにいるからこそ、自分も頭をからっぽにして旅を楽しめる。からっぽになった頭の中では、湘南乃風が海に向かってタオルを振り回している。「ウォッ ウォッ ウォッ ウォッ」と、オタクには発音できない声で合いの手を入れながら。

 

 こうしてピークに達したテンションに、他の仲間たちが薪をくべる。「さて、昼飯はなんにしようか?」と飲食街をウロついていると、うまそうな親子丼の屋台を発見。ここでまたアホのプロンプトが「あれ食べたーい!!」と叫ぶと(親子丼は彼の好物である)、料理係のイグニスが「あれなら俺にもできそうだ」とレシピをメモし出す。おいおい、今夜の晩飯はイグニスの親子丼かよ~~~!!! 超楽しみ~~~!!! と盛り上がる一行。昼飯の話をしていたはずが、いつの間にか晩飯の話になっている。自由すぎる。でもそれでいいのだ。旅って、青春って、自由なものでしょう?

 

 しかし、その盛り上がりに水を差す男が現れる。グラディオである。普段は気のいい兄貴分なのだが、エスタルムに着いた瞬間、こいつは図体のでかい駄々っ子になる。

「俺、やっぱり親子丼は食わねえ」

 おい、急にどうした? もう俺たちは親子丼の口なんだよ。さっさとチキン野郎(コカトリス)を狩りに行きたいんだよ。他のメンツは口々に不平を言う。お前、卵アレルギーだっけ? でも、カップヌードル大好きじゃん。あれにも卵入ってるっしょ?

 そこで皆はっと気がつく。カップヌードル。そう。あの魔の食い物がグラディオの精神を子どもに揺り戻した。奴は見つけてしまったのだ。エスタレムに鎮座まします“カップヌードル専門店”を。

「晩飯はカップヌードルにしようぜ」

 大喧嘩が始まる。なんなんだこいつは。確かにカップヌードルは美味い。美味いけども!! いまは!! 違うだろ!! このグラディオという男はマジの中毒患者なので、最高のカップヌードルを作るために、“ちょい足し”用のベヒーモスの肉を狩りに行くというクエストまで存在する。

 それは“ちょい足し”とは言わない。

 バラエティ番組のコーナーで「カップヌードルにちょい足しして美味しいものランキング、第1位は、ジャングルに生息する人食い虎の肉でぇ~す!!」ってやりますか? やりませんね。BPOに消されますね。

 しかし、それが楽しい。何でも知っていると思っていた親友の意外な一面が垣間見える。遠く離れた地は、人を無防備にするものだから。そしていつの間にかプレイヤーは、強くて、カッコよくて、でもそれ以上に弱くてカッコわるい、等身大の彼らが大好きになっている。少なくともぼくはそうだった。「『FF15』は好きじゃない」という方の多くは、きっとこの4人を好きになれなかったんだろうな、と思う。それが残念で、他人事ながらとても悔しい。

 

 じつは、ぼくは「この4人を好きになれない」という意見も分かってしまう。そして、その原因が『FF15』のストーリー構造の歪さにあることも。

 FF15の旅は楽しい。楽しすぎるのだ。……主人公たちの抱えている悲劇・使命は非常に重たいというのに。

 ノクトは敵国に親を殺されたばかりだ。もしかすると、他のメンバーもそうかもしれない。彼らの使命は国を救うこと、そしていつしか世界を救うことになっている。だというのに彼らは、やれ海だ、やれ親子丼だ、やれカップヌードルだと、“緊張感”という感情が欠落しているようにすら感じられる。

 そのギャップは、彼らを時として年齢以上に幼く見せる。“旅行中の大学生”ではなく、“ザリガニを釣りに行く小学生”に重なることがある(実際に釣りするし)。

 

 FF15のゲームとしてのおもしろさは“自由気ままな4人旅”にある。そしてストーリーのおもしろさは“重厚な戦争物語”に。ロードムービーと戦争映画を同時に見せられているようなちぐはぐさ。

 ただ、これら2つの線は決して交わらないものではなかったはずだ(たとえば、父親が殺されるのは、旅を楽しみつくしてからでもよかったのではないか)。しかし、入射角が少しずれていたばかりに、歪なストーリー構造が生まれてしまった。気になる人には、どうしても気になってしまうのだろう。

 

 だとしても。だとしても、である。ぼくは『FF15』が大好きだし、正直に告白すると結末には泣いた。『FF15』のエンディングもまた、仲間たちを好きになれたかどうか、旅を楽しめたかどうかで、全く印象が変わるものになっている。

 『FF15』のノクティスは、友だちとザリガニ釣りにいく感覚で世界を救ってしまったばかりに、一部から叩かれてしまった主人公だ(正確には、プレイヤーからはそう見えてしまった、ということであり、実際の彼は年相応以上に成長している。果たして最後の決断は、10代やそこらの若者に下せるものだろうか)。

 本作は、プレイヤーに能動的な“楽しむ姿勢”を要求するタイトルだ。『FF』でいうと、『8』や『12』に近いかもしれない。『8』は独特の強化システムを理解できるか、『12』は奥深いガンビットシステムを使いこなせるか、そして『15』はノクトたちの一員としていっしょに旅を楽しめるかどうか。これらの条件をこなせたかどうかで、評価の振れ幅は真逆になるといってもいい。

 

 というわけで、『FF15』を遊ぶときには、植松伸夫ではなく湘南乃風を流しましょう。いや、湘南乃風っていうのはたとえの話で、自分が大学生のころ、リア充たちが車中で盛り上がっていたであろう世代直撃のBGMってことです。だからプロンプト。いくら好きだからって“ビッグブリッヂの死闘”を流そうとするな。ゲームをやらないイグニスとグラディオが引いてしまうぞ。え、めちゃカッコイイなこの曲? だよね!!